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  • 代打、ワシや
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  • 1955年5月から選手兼任監督になった藤村富美男は、1956年に入ると自らスタメンを外れていた。 その1956年、6月24日の対広島カープ戦、1-0でビハインドの9回裏二死満塁。その次の打席の石垣は、その日調子が悪かった。金田正泰主将が三塁コーチャーズボックスにいた藤村に、代打の打診を出す。それを受け藤村は稲田茂球審にこう告げた 観客は大喝采。そして打席に入った藤村、ピッチャー長谷川良平。迎えて1ストライク1ボール、藤村の物干し竿が放った打球はレフトスタンドへ…代打逆転サヨナラ満塁本塁打であった。日本球界史上2人目、現在でも4人しか達成していない快挙。兼任監督では藤村のみである。 兼任監督を続けた1956年のシーズンには、他にも監督自ら代打のシーンはあったが、この試合があまりに有名であり、「代打、ワシや」の藤村武勇伝が語るときは、この日の出来事が語られる。2006年にヤクルトの古田兼任監督が「代打おれ」と出場した、はるか50年前の出来事であった。 ちなみにこれが、藤村の人生最後のホームランであった。
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  • 1955年5月から選手兼任監督になった藤村富美男は、1956年に入ると自らスタメンを外れていた。 その1956年、6月24日の対広島カープ戦、1-0でビハインドの9回裏二死満塁。その次の打席の石垣は、その日調子が悪かった。金田正泰主将が三塁コーチャーズボックスにいた藤村に、代打の打診を出す。それを受け藤村は稲田茂球審にこう告げた 観客は大喝采。そして打席に入った藤村、ピッチャー長谷川良平。迎えて1ストライク1ボール、藤村の物干し竿が放った打球はレフトスタンドへ…代打逆転サヨナラ満塁本塁打であった。日本球界史上2人目、現在でも4人しか達成していない快挙。兼任監督では藤村のみである。 兼任監督を続けた1956年のシーズンには、他にも監督自ら代打のシーンはあったが、この試合があまりに有名であり、「代打、ワシや」の藤村武勇伝が語るときは、この日の出来事が語られる。2006年にヤクルトの古田兼任監督が「代打おれ」と出場した、はるか50年前の出来事であった。 ちなみにこれが、藤村の人生最後のホームランであった。
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